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1992年7月。かねてから大ファンであった三国志の史跡巡りを決行しました。
当時の中国のこぼれ話と共に、旅行記としてまとめてみました。
史跡以外にも、当地で起こった様々な出来事や、個性的な中国の人々のことも思い出すままにつづっています。


中国こぼれ話No.1


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とりあえず出発

旅行のルートは、某新聞に連載された三国志史跡巡りの旅と、地球の歩き方を参考に、洛陽を中心に、
南にぐるっと一回りすることにした。

【桃園の誓い】をした啄州からまわりたいとこだったが、当時いまいち行き方が分からず断念することに。
さてルートも決めたし、いよいよ出発!といっても、火車の切符がとれない。
人民が多い割りに火車の本数が少ないのか、始発でない限りすんなり切符なんてとれやしない。
おまけに駅の切符売場は連日押し合いへし合いの大行列で殺気だっている。
まだ中国人民化ていなかった当時の私は、その列にもみくちゃにされながら切符を取る勇気はなかった、
しかしそこは中国。横社会がものをいう世界である、
留学先の担任教師の子供の嫁が旅行会社に勤めているとかで、襄樊行きの二等寝台車の切符をとって貰った。

いよいよたったひとりきりの旅行の始まりである。
七夕の夜に出発・・・のつもりが、出発1時間前に、いきなり友人が訪ねてきて、
「自分も友人と子供と明日旅行に出るか一緒に行こう」と言いだす。
『んなこた無理だ。チケットはどうするんだ。』と思ったら、彼女の友人が鉄道会社に勤めてて、
すんなりチケットを交換してくれた。(ただし48元も払わされた)
しかも彼女たちの目的地は襄樊では無く更に南に下った所であった。
『何のために一緒に出たのだろうか・・・』と疑問に思ったが取りあえず襄樊に着くまでは
中国旅行の心得や切符の取り方などをレクチャーしてもらった。


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襄樊

襄樊は孔明さんがこもっていた【古隆中】があるところである。劉備達が【三顧の礼】しに来た場所ね。
襄樊は駅から出ると異様な匂いがした。おまけに妙にゴミゴミしてて、街全体の雰囲気が不潔な感じである。
切符売場はさほど混んでなく、取りあえずつぎの目的地である当陽行きの切符を買っておく。
駅前から出ているバスで今晩の宿である襄樊賓館へ向かう。人民劇場で下車し、南へ向かうらしいのだが、
方向音痴の私にはどっちが南なのか分からない。
しょうがないので、通行中の優しそうなおばさんに尋ねたら、ちょうど日本語を勉強中の方で、
わざわざホテルまで連れていってくれた。ありがたや。
ホテルはバストイレ付きツインが一人15元(1元=約15円)。
バストイレは汚く、湯も出ないが、安いんだから仕方ない。
服務員のおばちゃんは私がいう変な中国語を真似したりしてお茶目である。

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何はともあれ、早速目的地に出発だ。
バスで<古隆中文風景区>に行く。こんもりした緑が爽やかな公園で、ゴミ一つ落ちていない。
平日だから観光客もほとんど居ずとても静かで落ち着いている。
ホテルも近くに併設されているようで、私は、間違えてそこから入った。
入場料を払わずにすみちょっとラッキー(いや、ごめんなさい)。
中には孔明さんの【草ろ】【武侯祠】などがあり、やはり孔明さんの人形があったり、
お宮のようになっていたりして、とてもシンプルだ。
通りかかった観光客のおばさんにカメラのシャッターを押すのを頼んだら、
やたら凝り性の人で、色々ファンシーなポーズを要求されて困った。
中国人は写真が大好きで、しかもナルシストだからなぁ。
もう一つ。劉備が蔡瑁に殺されかかったときに馬で川を飛び越えた所も遺跡になっている。
もっともこの話はフィクションなので、その遺跡も物語に基づいてかってに作られたものなのだが・・・。
さて、目的のモノも見たし、両替でもして早くホテルで休もうと、街まで帰り、銀行を探してたら、
いきなり妙な二人組が行く手を阻んだ。チンピラ風でなく、どちらかたというと、漫才のボケが二人といった感じだ。
「旅行?どこから来たの?君可愛いね。」などとすり寄ってくる。
『こいつらナンパか?金か?両方か?』驚いて中国語が咄嗟に出なかったので、
「あなた達は誰?」と紙に書いて渡したら、
「君、喋れないの?」ととんちんかんなことを言う、
「いや、喋れる、私に何か用事か?」というと驚いて、
「君何処の人?」
「洛陽」
「洛陽は行ったことある、洛陽弁も知っている。なのにどうして君には僕らの言ってることが通じないの?」
とさかんにいぶかしがっている。
彼らの喋っていることが上記のことぐらいしか分からず、何聞かれても、首を振るばかりだったからだ。
取りあえず、日本人だとばれたら(普通、喋った段階で下手すぎる中国語からすぐばれる)余計ヤバイと考え、
彼らを無視して近くの銀行に逃げ込んだ。流石にそこまではついて来ないと思っていたのだが、ちゃっかりついて来る。
怖くなったので、行員のお姉さんに必死な形相で、
「彼らは知り合いじゃないのについて来る」と訴えたら、すぐ理解してくれて、窓口の中に入れてくれ、
「お前らはいらねぇんだよ!」
とかいって追い払ってくれた、中国女は本当に強い。
その間、彼らとお姉さんの間で激しいやり取りがあったが完全に彼女が優勢。カッコイイ。
奴らが負け犬の様に去った後も、外で待ち伏せしているといけないからとバス停まで送ってくれ、
国内旅行の注意点をレクチャーしてくれた。ホテルに戻るとぐったり。しょっぱなからこれである。
やっぱり一人旅は無謀だったのかなと後悔。でも、晩飯前で1.8元のセットメニューのチケットを買う時、
「日本のお嬢さんだから面倒みてあげて。」
と近くのお客さんに言ってくれ、円卓囲んで上海から来たという夫婦や、色んな地方の人と楽しく食事ができた。
いい事も悪い事も丸々味わうのが、一人旅なのだ。


中国こぼれ話No.2


当陽

襄樊から火車に揺られる事4時間で当陽に到着。車内で湖北大学在学で、帰省中のカップルと知り合い楽しく過ごす。

それにしても殆どの日本人留学生がしょっちゅう、聞かれるのが、「ミシミシってどういう意味?」という質問だ。
どうやらテレビかなんかで流れた変な日本語らしいが、こっちにも何の事やらさっぱり分からない。
後で知った事だが旧日本軍が「飯(めし)、飯。」と言っているのがなまって聞こえてるらしい。
抗日戦争の物語は中国では美談なので、しょっちゅう放送されてて、以外な言葉を皆知っていたりする。
「馬鹿野郎」とかね。

さておき、当陽である。すんごい田舎。でも雰囲気は擦れてなくて良い。
街の中心に阿斗を背負った超雲像があり、ここが超雲が一万騎の敵軍の中を駆け抜けた土地なのね・・・。
と感激させられる。
中国でも超雲は人気者なのだ。
そしてその真ん前に当陽大酒店がある。なかなかりっぱな建物だが、田舎だからか激安である。
中国人料金(当時、中国はどこでも中国人と外国人では価格が違っていた。)で3人部屋バストイレ付き8元。
最初外国人だからと割り引き料金を取られそうになったが、
「留学生だからお金無いんです・・・。」と悲しそうに言うと、「一日だけだよ。」と、中国人料金で泊めてくれた。

3人部屋といっても観光客は殆どいないので個室と一緒である。翌日からの観光に備えて、早く寝た。

まず、関羽が奉ってある【関陵】へ。呉の軍勢に捕らえられ首をはねられた所。
もっとも首は洛陽の関林に奉り、ここには体だけが奉られている。その割りには小さく、観光客もいない。
まあ、キレイだったけど・・・。
その近くの長坂公園(張飛が橋で曹操軍をくいとめた所)も小さくて、
これが公園かよってつっこみたくなるようなとこ。いや違いないが、金とるなって感じか。
でも中の超雲像だけは見る価値あり。格好良いのだ。
劉備の奥さんが身を投げたという井戸、娘娘井も近くにあるらしいが、いくら捜しても看板らしきものは無い。
通りすがりの農家の人に聞いたが、
要領を得ず(私の語学力の無さのせい)それでも何やらよく分からない井戸に連れてきてくれた。
ここん家の井戸ちゃうんかいと思ったが、
実際、婦人が飛び込んだ井戸もこんなもんだろうと納得して写真を撮ってもらった。

ちょっと離れてるが、関羽が「俺の首を返せ。」と化けて出た【玉泉寺】にも行ってみた。
和尚さんがお茶目な人で、色々話し掛けてきてくれた。
中国のお寺やお宮はどれも極彩色で派手。日本の仏教も中国から伝わってきたはずなのに、建物から、どうしてこんなに違うのか不思議。

昨日はホテルで2元のセットメニューだったから、
今日は肉を食いたいと思い、キクラゲと豚肉の炒め物、卵スープ、ご飯、ジュースを注文。しめて10.5元なり。
ここの料理はばっちり当たりで、田舎だからってあなどれない。

ホテルの外の屋台では、クレープみたいなのをちぎって肉とピーマンと葱で炒めたものを売っていた。
1.5元というので買ってみたが、ヤキソバのような味がしたが、いまいち私の好む味ではなく残してしまった。
他の中国人達は黙々と全部平らげていたが・・・・。


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当陽〜武漢 バス移

夕方5時30分に当陽を出発。
火車で11時間だから、バスだともっとかかるんだろうな・・・と思っていたが、隣りの座席のお姉さん曰く、
火車は駅毎に停車するが、バスは一直線に漢口(武漢にある地名)まで行くから以外と早いそうだ。
となると、着くのは深夜になるかも。バスでの武漢行きは、かつて経験した人が、
「酷すぎる・・・。」
と言っていたので、出来るだけ避けたかったが、火車のキップが取れないんだから仕方ない。
でも、たしかに酷すぎた。揺れるは、人が多くて窮屈だわ、風がビュービュー吹き込んでくるわでもう無茶苦茶。

夜8時頃、一回休憩。トイレは、一応公衆トイレもどきがあったが、真っ暗の中、
便器の位置も分からないので、女子一同、入り口辺りでシャーとした。
中国は、こういうモノを男性に見られるのは、絶対に嫌だけど(当たり前か)、女同士なら、全然へっちゃらである。
私はへっちゃらでは無いけれど恥ずかしがっていると、余計注目されるので、へっちゃらのふりをするのだ。
ドライブインもどきで、スイカとか晩御飯を食べていた人もいたが、
私は、予め買っておいたお菓子とヒマワリの種をポロポリかじっていた。
隣りの座席のお姉さんが、トウモロコシを何処からか買ってきて、一本を半分に気合で割り、わけてくれた。
普通、割れるか?

休憩が終わり、再びバスの中へ。風が強すぎるので、窓を閉めようとしたら、
固くてガチャッとぶつけてしまい時計が壊れた。バンドが外れ、曜日も分からなくなるが、
かろうじて時間が分かるので、まあ、いいか・・・。
中国人男性はこういう時親切で、私が苦労して閉めているのを見るとすぐに手伝って閉めてくれた。
「着いたよ。」
そう言われて、ハッと気がつくと、とても明るいバスステーションに入っていた。
あのガタガタバスの中で、いつのまにやら熟睡していたようである。
時計を見るとジャスト0時。まじか。
深夜0時といっても、バスステーションの灯りで周囲は薄明るく、ステーション内は寝ている人でごったがえしていた。
とにかくホテルを捜さねば・・・と思い、当陽から一緒のお姉さんと筆談していたら、怪しげなお姉さんやら、
人力車の客引きなどが寄ってきて、人の輪が出来てしまった。それを公安の人が見咎めて、
「何しょんな。」
と強い口調でやってきた。
ありがたや、と思い、洛陽の留学生の面倒を見てくれている、外事弁公室の呉さんが書いてくれた紹介状と、
居留証とパスポートを見せ、助けを求めた。
公安の人は、親切に近くのホテル2ケ所を紹介してくれ、付き添ってくれたが、
どちらも当時の私からすれば、べらぼうに高いし、部屋も満杯であった。困っていたら、公安の人が、
「じゃあ、ここで寝たらいいよ。」
と、派出所の長椅子を片付けてくれた。イスは固くて、夜は冷えるし、バス疲れもあり、あまり眠れなかったが、
安全に夜明けを待つ事が出来た。それでもウトウトしたらしく、朝になり、
公安の人にお礼を言ってから出発しようと思ったが、何時の間にか、公安の人はいなくなっていて、
いくら待っても戻ってこないので、置き手紙をして出発した。
ハードな半日であった。
しかし、この日は、ホテル探しに、更にハードに歩き回ったのだった・・・。


浦折

さて、武漢はひたすら暑かった。
都会だが、観光名所も沢山あって、客馴れしているので、擦れた面も多々あった。
一番の傑作は、中国人に言ってもあんまり信じてもらえないのだが、、
長江で口をゆすいでいるおばさんがいたこと!あの、真茶色に濁ったでかい河で!
武漢で2日過ごした後、かの【赤壁古戦場】のある浦折を目指す。

浦折まではほんの2時間ぐらいなのだが、相変わらず火車の切符が取れない。
夜中に着くのはなるべく避けたかったのだが、いつまでも武漢で足止めを食うわけにも行かず、
何とかなるだろうと夜10時出発の切符を購入した。

夜までの時間を潰す為、どこか行こうかと地図を広げたが、余計なお金を使う必要もないだろうと、
駅で日本の友人に出す絵葉書を書いたりしていた。
お昼におなかが空いたのでキオスクでパンでも買うべと思い行ってみた。
私を日本人だと知った店員のお姉さん達2人は、興味津々で私を中に招き入れた。
売り物のお粥にダイズを混ぜたものとか、カップケーキとかくれ、色々話し掛けてくる。
日本の古いドラマとか中国でしょっちゅう再放送されるらしく、彼女は栗原小巻のファンで、
日本にも行ってみたいとのこと。
私が荷物を開けたら、目ざとく生理用ナプキンを見つけて、これは何?と聞くので、二人に二個ずつプレゼントした。
彼女達もやっぱり売り物のナプキンを一袋くれ、和やかにナプキン交換をした。
会話の途中で、出発の時間をきかれ、夜10時と答えると、びっくりして、お姉さんの一人が私の切符を持って、
ホームの方へ飛んでいってしまった。しばらくすると息を切らして戻って来、
「今、丁度良いのがあるから、すぐ来て!」 という。友人が火車の服務員の用で、
ホームで彼女に引き渡され(感謝感激で涙が出そうになったが、急いでいたおかげで満足にお礼も出来なかった)、
西安から桂林行きの二等寝台車の隅に同乗させてくれた。中国人は本当に友人に親切で、実行力がある。
元々の寝台の使用者も、服務員さんが巧くいってくれたのと、親切なのとで、快く迎えてくれた。
西安から桂林に旅行に行くという家族で、西安の見所や、よいホテルなどを紹介してくれたり、
遊びにおいでと住所も教えてくれ、とても楽しく2時間が過ぎ、夕方のうちに浦折に到着することが出来た。 

浦折は、赤壁の史跡があるところ。
本当に小さい田舎町だが、丁度、何やら会議があるらしく、ホテルは一杯だった。
水の出ない部屋しか空いてないが、他のホテルを探すのも面倒だし、
明日はちゃんとした部屋が空くということで承知する。何たったって一日10元は安い。
赤壁までの行き方を尋ねたら、旅行社を紹介してくれた。
赤壁を訪ねる日本人は多いとのこと。そうだろうな。やっぱ。
早速その旅行社を訪ねてみた。そこのおっちゃんは、妙に目がパッチリした人で、英語が上手。
当時の私の語学力は英語と中国語が同じくらい(出来なかった)だったので、英中入り混じって説明してくれた。
一緒に赤壁まで行ってガイドするなら98元とのこと。まあ、行き方さえ分かれば一人で何とかなるだろうと断る。
一応、赤壁行きのバスステーションまではただで送ってくれるとのことで、翌日を待つことにした。
さて翌日。朝10時に出発という約束なのに、8時にやってくる。
こういうとこ中国人は本と自分勝手で、きままである。
おっちゃん曰く、
「10時に出ると、昼暑いから。」
だって。じゃあ、昨日のうちに気付けよ。
先に駅に行き、次の目的地までの切符を取ってから、バスステーションに行くという約束も、知らぬ間に反故にされ、
まっすぐ、バスステーションにつれてこられていた。これには私もぶちぎれて、
「もうここでいい!さよなら!」
と乱暴に言い放ち、そそくさとバスに乗り込んだ。

赤壁というのは、村の名前であり、このバスの終点である。
一時間ほどののんびりした道のりの途中は、とても美しい田園風景が続いていく。
水彩絵の具を持ってくれば良かったと後悔。緑が目に眩しい。
村はとても小さく、下車する人は少ないが、この日は私のほかにも、中国人観光客が数組バスに乗り込んでおり、
彼らにさりげなく着いていくことにした。
少し歩くと、ホウトウが奉られている、【鳳雛庵】があり、その先に長江が見える。
ここで遊覧船や小船で赤壁一帯を周ることも出来るが、なんか、あまりに何もなさ過ぎて、気力を無くし、
周ゆ像を目指す事にする丘に登り、道なりに少し歩くと、小さな公園があり、団体客がざわつく声が聞こえてきた。
入り口にはおばちゃんが一人いて、入場料は2元とのこと。
でも私の小銭が1元ちょっとしか無いのを知ると、1元とったフリをして、後で返してくれた。
場所的に、ここ、お金とんのかよってところだったから、恐らく、おばちゃんが勝ってに団体客から2元といって、
ぼったくっていたのではないだろうか・・・・う〜む。おばちゃん、優しいんだか小ずるいんだか・・・。


公園に入ると、すぐ周ゆ像がデーンと立っているのが目に入る。昔のロボットみたいな形で、あんま、格好良くない。
その下の階段を下りると、崖に<赤壁>と彫ってあったが、半分以上水につかっていて、よく分からなかった。
一応、写真を撮ってもらい、白い野花が咲いている所で休憩をした。
夢にまで見た赤壁の古戦場跡である。
何も無いことにがっくりはしたが、もしかしたら、ここから長江を眺める景色は、今も昔も変わっていないのかもしれない。
そう考えると、孔明さんや、周ゆが見つめていた風景を自分も又見ている気がして楽しかった。
それに、こんなに静かで、鮮やかな緑が広がり、所々にこんもりとした丘が見えるなんて光景も、
めったにお目にかかれないだろう。
なんだか元気が出てきた。


中国こぼれ話No.3


九江

九江に行くには直通は無いので、いったん南昌へ行き、そこから乗り換えである。
心配だった南昌行きの切符も、知り合いになった公安局のおじさんがとってくれ、無事火車に乗ることが出来た。
もっとも、朝6時発のはずが、遅れて7時半に到着したのだが・・・。
しかも、ホームが向かい側だったらしく、そちら側に行く階段も無いので、駅員さんに急かされながら、
皆でそのホームに止まっていた火車の下を通って、向かいのホームに行かされた。
途中で、万が一にでも火車が動き出したらどうすんじゃと、生きた心地がしなかったが、まあ、普通の人で、
火車の下を潜った事のある人はそういないだろうと、ちょっと得した気分でもあった。

切符は二等座席だったけど、そこで知り合った女の子が、火車の乗務員に交渉して、二等寝台に換えて貰ってくれた。
(もちろん差額は支払う)本とにこの旅では、色んな人のお世話になりっぱなしである。
日本に来た外国人が困っていたら、絶対手助けするぞと心に決める。」

寝台車は、三段ベットが向かい合わせになり、一つのコンパートメントになっている。
今回私のベットは上段だったが、下段や隣のベットのおばさん3人組がおやつにスイカをくれた。
彼女達も九江まで行くので、途中まで、一緒に行ってあげると言ってくれる。
彼女達は九江にある名山、ろ山で会議があり、観光がてらそれに出席するらしい。

南昌で一泊し、バスで九江へ。
バスの中で、客同士の喧嘩が始まり、ちょっと騒然となったが、途中バスをストップさせ、彼等だけが下車していった。
まだ目的地までかなり距離があるのだがいいのだろうか・・・。
4時間の予定が、大幅に遅れて午後やっと九江に到着する。
バスステーションは湖のほとりで、なかなか雰囲気の良い街である。ここでおばちゃん達と別れ、又一人になった。
人力車のおっさんが近づいてきて、目指すホテルまで5元というので、疲れていたし、一応乗り込む。
が、ホテルに着くと案の上50元出せと言ってくる。
「あんたが最初5元って言ったでしょ。」
と私もあくまで対決姿勢である。
その内人力車仲間が大勢やってきて、その中の一人が何とかとりなしてくれて、やっと5元で落ち着く。
人力車とかに乗ると、絶対こういうトラブルが起こる。今度からちゃんと紙に書いて交渉しよう。
ちなみにこのホテルは結局泊まることが出来ず、煙水亭の近くのホテルに変更した。

フロントのお姉ちゃんは親切で、ゆっくりとした標準語を話してくれる人だった。
中国人用の28元の3人部屋に泊めてくれる予定だったが支配人かなんか高圧的なおっさんがやって来て、
外国人は160元の部屋だと言って認めてくれない。
近くにいた中国人宿泊客達も、高すぎると味方してくれたが、やはり首を縦に振ってくれない。
仕方ないので、他のホテルを紹介してくれと頼むと、98元のシングルならある、だと。最初から言えっつーの。
お姉ちゃんはとても申し訳なさそうだったが、決して彼女のせいではない。
色々話してみると、彼女は実は私と同い年で、しかも誕生日も3日ちがいだった。
「九江はいい所でしょう。この近くのバスステーションからろ山行きのバスががたくさん出ているけれど、そこもとっても綺麗でステキな所なんだから。」
彼女は自慢そうである。
私はこういう、自分の街が一番と思っている人が大好きなので、彼女と、九江の街が好きになった。
三国志とは関係ないけど、少しろ山でゆっくりしようかな。

さて、前置きが長くなったけどメインは【煙水亭】である。
九江には南湖と甘しょう湖があり、ここで周ゆが水軍の訓練を行っていたらしい。
そして、ここに周ゆが奉られている煙水亭がある。湖に浮かぶ、白壁の美しい建物である。
中は、色んな国から貰った置物とかの展示会をやっていて、日本からの京人形もあった。
ここの喫茶店でコーヒー牛乳を注文。小さいカップに入ってて、味は日本的。
ウエートレスさん曰く、日本人観光客がよく訪れるらしい。
さすが36歳の若さで亡くなるまで、美周郎と呼ばれていただけあって、周ゆの銅像は若く、なかなか格好良い。
(ちょっと関根勤に似ているのが気になるが・・・)顔だけの像もある。
三国志の人物達は、大概年をとっていて、髭を生やした像ばかりだから、若いこれらの像はちょっと貴重かも。

十分堪能して外に出ると、<明代銅龍洗>という銅で出来た鍋がおいてあった。
なみなみと水がいれてあり、取っ手の部分を擦ると、ブイイイインと軽い音がして、
小さな噴水のように水が振動してはねる。
天気が良かったので、跳ねた水がきらきらひかってとても綺麗。とてもゆったり時を過ごせる場所であった。


成都

途中、ろ山やら黄果樹やら長沙やら寄ったのだが、その辺は三国志と全く関係無いのですっとばかす。

いよいよ成都に着く。
蜀の国が置かれていた所であり、四川省の観光要地。2階立てバスも走っているお洒落な大都会だ。
それだけ治安も乱れているらしく、ホテルの前には、怪しいおっさん達の「チェンジマネー(両替)」の大合唱。
あわせて卑猥なことを言う奴もいて、ちょっと怖い。
ホテルには貸し自転車屋があったり、旅行社が入ってたりしてとても便利。
部屋代も80元のところを留学生だというと、30元にまけてくれ、感激。
さっそく貸し自転車を利用して地図を片手に市内を散策することに。
その自転車というのが、いわゆるママチャリではなくて、どれも超でかい自転車ばかり。
足が届かないのが不安だが、まあなんとかなるべと思い借りることに。
この油断が後で悲劇を招くことになるのだが・。

まずは四川動物園へ。
ここには数匹のパンダがいて、変ったところでは、茶色と白のパンダもいるのだ。
パンダって、上野動物園なんかでも、結構寝てたりしてぐうたらなイメージがあったけど、ここのパンダは超アクティブ。
タイヤで遊んだり、笹を食べたり、じゃれあったり、とても可愛い。
ところで、パンダってどういう風に鳴くか、ご存知だろうか?
上野に行ってもいつも寝ているし、鳴き声があるなんてちょっと信じられないですよね。
これが鳴くのだ。しかも「めへええええ。」って。
最初聞いたときは、「?めへえええ?近くに山羊の小屋でもあるんかね。」と思って周りをみわたしてみるがパンダ小屋しかない。
もう一度パンダをよく見ていると、「めへえええ。」とやはり、
かれの口からそのとぼけた声が発せられているではないか。可愛い。可愛いぞ。パンダ。
やはり君は世界のアイドルなのだ。

さて、パンダも見たし、自転車に乗りながら次の目的地へ行こうと、片手を離し、持っていた地図を見ようとした瞬間。
あっという間もなくバランスをくずし、地面に叩きつけられた。
そう、足が届かない事をすっかり忘れていたのだ。バカ。
激痛が走り、しばらく立てない。
周りの人は誰も見向きもせず、倒れている私を横目に、すーーと自転車で通り過ぎていく。
ようようと立ち上がると、左肘が道路の埃と血が混ざって真っ黒になっている。気持ち悪い。
とりあえず拭かねば・・・と近くの商店に入っていき、そこの姉ちゃんに「す、水道を貸して下さい・・・。」と頼んだ。
お姉ちゃんはすごく嫌そうな顔をしたが、それでも奥から、タオルというよりは雑巾に近い布切れを絞ってきてくれ、
傷口の周りをふいてくれた。
その間も、「私は全部見ていた。あんたが自転車に乗ったままで地図を広げようとしたからこけたのよ。
ちゃんと一旦停止してから見なさい。」などと、身振り手振りを交えて、散々説教をきかされた。
彼女の言うことが100%正しいので、私はおとなしく聞きいていた。
近くの病院の場所を教えて貰い、お礼を言って別れた。
病院ではお医者さんが消毒し、湿布をしてくれた。
あんまりしみるので「痛い。」と声をあげると、お医者さんや看護婦さんが面白がって、
「イタイイタイ。」と私の真似をして喜んだ。カルイ・・・。この傷跡は、今も私の肘にしっかりと残っている。
その日はもう遅くなったので、すぐにホテルに帰って休んだ。

翌日。いよいよ【武侯祠】だ。
ここは蜀の英雄達を全て奉ってある処で、蜀国関連の物や、像などが飾ってある。
(蜀を崩壊に導いた張本人の劉禅は当然、除外されている)
日本の三国志テレビ人形劇の孔明さんもここに飾られていてビックリ。
寄贈しているところのパネルも飾ってあり、中国人観光客もひっきりなしに訪れている。
御土産物はやはり関羽関連(小さい銅像とか)グッズがたくさんあったが、
(関羽はこっちでは商売の神様になっており、そこかしこの食堂で関羽の神棚を見る)その他のグッズは殆ど無く、残念。

見学の帰りに麻婆豆腐の元祖である【陳麻婆豆腐店】に行ってみた。
日本でも、よく雑誌やテレビなどで紹介されているせいか、店員さんも慣れた物で、私が注文する前から、
「麻婆豆腐でしょ。日本人はみんな麻婆豆腐を注文するのよ。」

と笑って言う。
私は辛いのが苦手なので(辛いのは本とは好きなのだが、こっちの辛いは半端じゃなく辛すぎ)
ウエイトレスさんに聞いて、<白油麻婆豆腐>というのにした。
それにしても来てよかった。
さすが、本家本元は違う。日本で食べた物も含めて、今まで食べた麻婆豆腐の中で一番おいしかった。
とても豊かな味で、スープもジャスミン茶も香りがすばらしく、とても幸せな気分になった。
有名店だからといって高い訳ではなく、これにご飯をつけてわずか4.5元!毎日でも通いたい!


中国こぼれ話No.4


宝鶏

ついに来た。〜星落つ秋風吹く五丈原〜
思えば、この旅も全てここにたどり着く為のものなのだ。
孔明さんが没した土地。ちなみに宝鶏は中国語でバオジー、日本語だとホウケイである。
ちょっと恥ずかしいので、日本の友人に話す時でも、バオジーと言っていた。(笑)

この街は、駅とか歩道とかがやたらピンク色をしていて非常にファンシーである。市長の趣味か?

さて、五丈原まではバスで、高店下車。
高店なんてわっかんねーと思っていたら、
やたら五丈原食堂とか、五丈原ナントカとか書かれた看板が目につき始め、そこで停車。
「ここが高店か?」と運転手さんに聞くと、黙って頷くので下車する。
なんだかよく分からないまま、
食堂に入りビックリするぐらいまずいメンを食べそこおばさんに五丈原までの道を聞く。しかし彼女は冷たく
「あっち。」と指差すだけ。
アッチの方角に歩くと、丘が見えてきて道が三又に分かれた。
通りすがりの老人とその孫にどの道を行けば良いのか聞き、左にまっすぐ進む。
ほどなく丘の登り口にたどり着いた。
丘を登っていくと、観光を終えたばかりの日本人の団体がワイワイ言いながら降りてくるのとすれちがった。
頂上までの坂道がよほどきつかったらしく、私を見ると「これから登っていく人をみるとうれしいわ。」なぞと言っている。
こちとら歩きっぱなしの旅行なので、こんな丘、屁でもない。

頂上に着く。<五丈原>と書かれた立派な石碑が迎えてくれ、その奥に武侯祠がある。
外国人は5元。留学生だというと1元にしてくれた。
独学で日本語を学んでるおばさんがいて、途中まで案内してくれた。
私の想像していた通り、少しうら寂しく、でも景色の良いところである。

↓五丈原関連(?)グッズ


【出師の表】を石に写したものがあり、3絶とよばれているらしい。
3絶とは、
1、 孔明さんの文章が絶品。
2、その文章を写した明の岳飛の文字が絶品。
3、それを石に刻んだ樊登雲の技術が絶品。
ということらしい。

武侯祠には、孔明さんの奥さんも奉られている。美人ではないが、とても聡明な人だったらしい。
派手な建築物が多い中、孔明さんが気に入るような落ち着いた武侯祠であった。

丘の上からトウモロコシ畑がずーと広がっているのが見える。
そういえば、ここにくる間のバスから外を見ていたら、
真黄色の大輪の向日葵がたくさん風にそよいでいるのが目に飛び込んできたっけ。
眩しすぎる日差しの中で、向日葵の黄色と空の青のコントラストはとてもよく映えていた。

私は旅の終わりを感じ、いつまでも丘の上から、眼下に広がるトウモロコシ畑を見つめていた。


終わりに

1992年の夏休みに決行した中国一人旅。
今回はその中でも、三国志に関係してある処だけをピックアップしてまとめてみた。

中国の経済発展は目覚しいものがあるし、物価や町並みもどんどん変化しているだろう。
彼等の生活や思想もきっと当時とは又違っているだろう。

日本に行って、中華料理店を開くという夢を語ってくれた食堂のおにいちゃん、
来月から広島に留学するといっていた学生さん、皆どうなったであろうか。
大変だったけど、たくさんたくさんの中国人にお世話になった。
住所を書いたメモ帳をなくしたり、不義理をしっぱなしだけど、一生忘れることの出来ない、
大切な思い出を一杯もらった。
彼らの夢が実現し、日本にて、良い経験と良い出会いがあったことを願わずにはいられない。

この頃のようなエネルギーはもうないけれど、又同じ道を同じ方法で、
もう一度、今度は主人と二人で辿ってみたいな、と思っている。


終わり。



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